笑わない赤ちゃん

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東京都 Mさま(50歳 女性)

アトピー性皮膚炎 ニワーナ・ルイボスTXを摂取


11月生まれの次女ななみは、生まれながらのアトピー性皮膚炎でした。

生後1ヶ月ごろからではじめた乳児湿疹が、なかなか改善しなかったのがはじまりです。そのうちに耳の付け根が切れ、あれよあれよという間につぶれたトマトのような顔になり、それが体全体にひろがってゆくのにそう時間はかかりませんでした。
あの頃のななみには、寝てもさめても”痒い”という感覚しかありませんでした。むずかっているか、無表情に掻きつづけるか、それだけの日々の中、笑うという感情が生まれる余地はありませんでした。痒みのため、半日以上眠らないこともありました。笑わない、眠らない赤ちゃんななみは、この世に生れ落ちてすぐに、かゆみ地獄と戦わなければならなかったのです。
ななみの医者通いは、近所の小児科を皮切りに、少し離れた小児科、皮膚科、近くの大学病院、遠くの国立病院、と転々としました。血液検査の結果は、牛乳と卵に最高レベルの反応を示しているとのことでした。ただれた部分からブドウ球菌にも感染していたため、体中に紫色の異様な斑点もでていました。 なんとか良くならないものだろうか、と病院を変えるたびに望みをつなぎましたが、ステロイド系軟膏、抗アレルギー剤、抗生物質を処方されるのはどこも同じで、ななみの症状は治まることなく少しずつ悪化していきました。

ミイラになって危機一髪

ある朝のこと、布団の中のななみの顔をのぞいて見たところ、なんと血だらけではありませんか。はじめはなにが起こったのかわかりませんでしたが、顔を掻きむしって、皮膚が破れてしまったらしいとわかりました。顔ばかりか、布団、シーツにも血がこびりついています。
私はそのままななみを抱きかかえて、近くの皮膚科に駆け込みました。そこで全身に軟膏を塗布されると、頭から手の先、足の先まで包帯でぐるぐる巻きにされました。目と鼻、口の部分がなんとか見えるものの、まるでミイラのようなあり様です。この子はこれから一体どうなってしまうのだろう、そんな不安が湧いてくるのをなんとかこらえながら、家に帰ったことを覚えています。

そして、その日の夜中。やっと眠ったななみを布団の上におろし、やれやれ、と自分も隣に横たわったその時です。ななみがグェーッと妙な叫び声をあげたのです。私は飛び起きてななみを抱き上げました。すると、真っ赤になって目をむきだしています。そして一瞬ガクッとのけぞったかと思うと、今度は包帯のあいだから覗いた肌がみるみるうちに真っ白に、唇がむらさきになってゆきました。
「…息をしていない!」
動転した私はななみを抱いたまま台所の電話口にかけよると、110番通報していました。なにをしているの、早くしないと死んでしまう!
思考が止まりかかった脳に鞭打ち、なんとか救急車を手配してから、とにかくこの包帯をほどかなくては、と思いつきました。けれども、看護婦さん2人がかりできっちり巻いた包帯は、少しひっぱっただけで余計に強くしめ上がります。

私はとっさに目の前の洗いかごの中にあったキッチンばさみをつかみ、包帯とこめかみのわずかな隙間にさし込んでジョキジョキ切り始めました。そうして、なんとか頭と首に巻きついた包帯をはずしたところで、ななみの口からは半透明の塊がゲロッと吐き出されました。
おそらくタンだったのだと思います。アレルギー体質のせいか、ななみののどはいつもゼロゼロ鳴っていました。首にまで巻かれた包帯でよほど息苦しかったにちがいありません。

息が止まってから、どのくらいの時間が経過していたのでしょうか。ななみの顔にはまた血の気が戻ってきました。ああ、助かったのだ、そう思ったとたんに今度は私の体がガタガタ震えだしました。危機一髪を乗り越えた恐怖と安堵が、改めてこみあげてきたのでした。
10分足らずで救急車は到着しました。でも、それまでにタンを吐き出していなかったら、また、あの時目の前にキッチンばさみがなかったら、それを思うと今でもぞっとします。

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紐でつながれて

そんなこともあって、私の頭は、とにかく顔を掻きむしらせないこと、二次感染させないことで一杯になりました。
よくアトピーの子供が、爪で掻きむしらないようにする為の布の手袋がありますが、ななみの場合はグーに握った手全体を顔にこすりつけるので、それは役に立ちませんでした。
赤ん坊は加減を知りません。薄い皮膚は、思い切りこする摩擦ですぐに破れて、そこからジュクジュクした汁がしたたりおちます。ななみの服は、その汁で肩のあたりがこびりつき、いつもガチガチに固まっていました。

私は実家から着付け用の絹の紐をもらい、それで小さな輪をつくってななみの手首にはめ、その反対の端を家具の脚に結んで、手を顔にもってゆけない長さに調整しました。ななみを寝かせている間、何とか顔を掻きむしらせないようにと考えた、残酷な苦肉の策でした。
夜は、手をこの紐でつないだ上、添い寝する私の手でななみの小さな手をおさえました。自由のきかない体勢だというのに、渾身の力で手の方に体をすり寄せていって顔をこすりつけるので、寝ている間も気が抜けません。他にも、固い紙で筒をつくってななみの両手にはめ、肘が曲がらないようにもしてみました。それでも、ちょっとずつ筒をずらして肘からはずしまた顔をこすり始めるので、ほとんど意味がありませんでした。

 

真夜中の入浴

結局、ななみを抱っこして一緒に辛さを分かち合うことが、私にできる唯一のことだったのかも知れません。ななみは私の胸に顔を振るようにしながらこすりつけて痒がって泣きます。1分、1秒でも早くこの痒みから開放してあげたいのに、何もできないもどかしさ、情けなさで胸が詰まりました。
アトピーに良いという噂のものは色々試してみて、その効果に一喜一憂もしました。でも状況はかわらず、病院から出されたステロイド軟膏も次第に効き目が悪くなって、疲れと焦りが日増しに募ってゆきました。

あまりにもひどく痒がるときは、夜中の2時、3時であっても、ベビーバスにぬるいお湯を張って入浴させてやりました。そうすると少しは楽になるのでしょうか、むずむず泣いていたななみの目がスーッと寄り目になり、私の手に支えられてお湯にぽっかり浮かんだまま放心するのです。「ずっとこうしていたいね」。
やっとむずかるのをやめたななみに心の中でそう話しかけながら、私は真夜中のお風呂場で泣きました。

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丹羽先生のクリニックへ

丹羽先生の診療を受けることに決めたのは、私が体力的にも精神的にもかなり疲れてきた頃で、ななみが満6ヶ月になろうという時でした。土佐清水病院まで行かなくても横浜で診療が受けられるということでしたので、即刻予約をとりました。
新横浜のクリニックで診察を受け軟膏を処方された後は、まるで魔法をかけられたかのようにななみの症状は改善してゆきました。診察を受けた日を境に、紐で手を縛ることもなくなりました。
夜はぐっすり眠るようになり、赤ちゃんらしい笑い声があがり、私たちはそれまでの張り詰めた生活からやっと抜け出すことができたのでした。ななみが日本人形のように愛らしい顔立ちだったことも、症状が良くなって初めてわかった嬉しい事実でした。

 

赤ちゃんは知っている

さて、私が持病のじんましんを久しぶり発症したのは、ななみがもうすぐ1才になろうという頃だったでしょうか。その時のじんましんはそれまで経験したことのないほどの猛烈な症状でした。あまりの痒みに私はほとんど一睡もできないまま3日目の夜を迎えてしまいました。家族の皆が寝静まった部屋の隅でひとり、眠いのに眠れず、もうろうとしながらぼりぼり体中をかきむしっていると、ななみがもぞもぞし始めました。どうやら目を覚ましたようです。
あぁ、起きてしまったか…。私は仕方なくななみを抱きあげました。すると、泣くでもなく、笑うでもなく、ななみは切れ長の目で私のことをじっと見つめます。

なんておとなしい静かな子だろう。まるで、あたたかいお地蔵さんみたいだな…。そう思いながら、私もななみの目をじっと見つめ返しました。
その時ふいに、私には伝わってきたのです。
ななみが私をなぐさめようとしていることを。そして、私を許してくれていることを。彼女はすべてをわかっているようでした。

「ななみ、ありがとう。痒いって辛いね。あの時、手を縛って本当にごめんね」

ななみの静かな目を見つめているうちに、私の中の不安ないらだちは影をひそめ、穏やかな気持ちに満たされはじめました。
私は、ななみを抱いたまま暗い廊下にでてみました。そして2人とも黙ったまま、ゆらゆらと行ったり来たりしているうちに、ひどい痒みも不思議と遠のいていくような気がしました。


ななみは今、元気な小学生です。

お蔭様でアトピーの痕跡はもうどこにも残っていません。痒かったあの頃のことはみんな、彼女の記憶の奥深くにしまわれてしまったかのようです。
幸い私とななみは、ひどく辛かった時期を6ヶ月で脱出することができました。しかし、世の中には、それこそ何年間も耐え続け、こうしている今も、かゆみ地獄の只中で格闘している人たち、それを心配するご家族がどれほどいることでしょう。
その方々が一刻も早く痒みから開放される日が来ることを、私は願ってやみません。